昭和二年以前には、松原の高田町側は高田松原、気仙町側は気仙松原と呼ばれていましたが、昭和二年に日本百景に入選したのを機に、総称して高田松原と呼ばれるようになりました。
現在のホテル三陽は、陸前高田市の高台にあります。
当館創業者は、昭和三年に松原のなかに建築された料亭(保養所)である「松仙閣」の女将として経営に携わっていましたが、昭和一一年には長部港に「三陽旅館」を開業、その後は引き継がれて、昭和五三年当地福伏に移転、「ホテル三陽」として現在に至っています。
創業者の父は、大正時代まで主に気仙の木材を東京に、生活物資を気仙に運ぶ帆船「長運丸」の船長でした。海外にも渡航し、広い視野を持ち合わせ、その人脈で娘である創業者に接客業を学ばせるため東京へ修行に出しました。
昭和に入り、長部港は港湾工事が着手され魚粉の加工工場も出来、港として活気づいていました。東京から帰ってきた創業者は、「松仙閣」の女将を経て昭和一一年長部港に三陽旅館を開業。当時は料理旅館として、県知事や県職員、教育機関の方々などの集まりにも使用されました。
昭和十一年、長部湊に、三陽旅館を開業、その時の記念写真です。
時代の流れに寄り添い、陸前高田市を訪れる観光のお客様に喜んで頂けるようにと、昭和五三年、高田松原を見渡せる眺めの良い高台へ移転しました。
碧い海、白い砂浜に青松美しい高田松原、岩手県陸前高田市。
二〇一一年三月一一日の東日本大震災で、約七万本あった松は一本だけが残り「奇跡の一本松」として世界中に知られることになりました。
当館では創業当時の絵葉書や、陸前高田の歴史を物語る写真も展示してあります。絵葉書は五枚組で、当時「松仙閣」で販売していました。その一枚一枚が創業者の家族がモデルを務めています。又、絵葉書の袋には一本の松の木が描かれており、今となっては「奇跡の一本松」のようにもみてとれます。